1973年、日本で亡命生活を送っていた韓国の金大中氏が拉致されるという衝撃的な事件が起きました。
拉致したのは「大韓民国中央情報局(KCIA)」、現在の大韓民国国家情報院の前身となる当時の韓国の情報機関です。
この事件には、ドラマで話題の日本の自衛隊秘密組織「別班」が関与していたという噂もあり注目されていいます。
この記事では金大中氏の拉致事件に別班は関わっていたのか、事件の概要や大統領のその後や息子の逮捕についてまとめています。
【簡単な回答】
- 1973年8月8日に金大中拉致事件が発生した。
- 金大中は1971年にも暗殺未遂事件に会い、障害を追っている
- 1972年10月17日に韓国では戒厳令が布告され、十月維新がおこった
- 十月維新当時、金大中は治療のために日本に滞在しており、そのまま亡命した
- 金大中がホテルグランドパレスから拉致されたのは1973年8月8日
- 金大中は1973年8月13日にソウルの自宅前で解放された後、自宅に軟禁状態となった
- 金大忠が自宅での軟禁から解放されたのは1073年10月26日
- 金大中は1998年に韓国の大統領に就任した。
- 大統領任期末の2002年に金大中の3人の息子が斡旋収賄で逮捕された
- 金大中は2009年8月18日に死没した
金大中拉致事件とは?

当時の韓国は十月維新革命下で、朴正煕大統領の独裁状態にありました。
十月維新革命とは:1972年10月17日に「大統領特別宣言」が行われたことで始まった。独裁色が強く、この時期を「維新体制」、この時強制的に改正された憲法を「維新憲法」と呼ぶ
金大中氏は朴正煕大統領に僅差で敗れた元大統領候補で、「維新体制」を批判し、日本やアメリカで精力的に活動していました。

朴正煕大統領にとっては目障りだったってこと?
なぜ金大中は日本にいたの?
金大中氏が日本に滞在していた理由は、前年に暗殺未遂事件で負傷し、負った障害を治療するためでした。



拉致事件が初めてってわけじゃなかったのか!
十月維新革命を受けて金大中氏は日本に亡命することを決め、日本とアメリカを行き来しながら維新体制への批判を訴え続けました。
金大中拉致事件の経緯
- 8月8日:東京都千代田区のホテルグランドパレスから金大中が拉致される
実行犯は韓国大使館の書記官6人であり、内5人はKCIAの要員
金大中夫人との面会を駐韓日本大使が避ける - 8月9日:米国国務省が金大中の即時解放を求める声明を発表
金大中を乗せた龍金号が大阪外港8区から出港 - 8月11日:龍金号が釜山港内に到着
- 8月13日:ソウルの自宅近くで金大中が解放され、22時20分ごろに帰宅
22時15分に「愛国青年救国隊」退院を名乗る男の声で金大中を開放したという通告が報道各社に入った。 - 8月16日:金大中が自宅で軟禁状態に置かれる
- 8月20日:アメリカの国務長官が「米国政府は、金大中氏の事件について重大な関心を持っている」と述べる
- 8月23日:読売新聞が「金大中事件、情報部機関員が関係、韓国政府筋が認める」と報道
韓国の広報部長官が読売新聞に記事の全文取り消しを要求
読売新聞が拒否
読売新聞のソウル支局は閉鎖され、特派員は追放された - 8月26日:田中角栄総理が「日韓関係悪化を防ぐためできるだけ譲歩したい」という趣旨の発言
- 9月5日:日本政府が拉致現場に指紋があった金東雲の出頭を要請
韓国財日本大使は外交特権をあげて出頭要請を拒否し、他の拉致実行犯も出国させる - 9月27日:日本政府関係者11人がソウルを訪問
- 10月6日:岸信介が朴正煕大統領と会談、翌日に帰国
- 10月13日:岸信介が田名角栄首相に「政治決着」を進言
- 10月26日:金大中の軟禁が解かれる。
- 11月2日:来日した金鐘泌と田中首相が会談、政治決着が図られる
後の廬武鉉政権時代(2003年2月25日~2008年2月24日)に日本政府が形式上の「真相究明」要求を出すことで、日韓政府の間で真相をうやむやにすることが話し合われていたことが判明しました。



朴正煕大統領から田中角栄首相が「少なくとも4億円」を受け取ったという話が「文芸春秋」の2001年2月号に掲載されているよ
金大中氏が龍金号からあわや海に沈められようとしている時に、海上保安庁のヘリコプターが追跡していたことで、殺害計画が韓国までの連行計画に変更されたという話もあります。
この海上保安庁のヘリコプターは、アメリカから連絡を受けて動いていたと言われています。
ホテルグランドパレスってどこ?
開業したのは1972年2月ですので、事件が起きたのは開業してからまだ1年半程度の頃のことでした。
拉致をおこなったKCIAは金大中氏が現れる可能性が高かった、「梁一東氏が滞在していた部屋」の隣室を指定して予約しています。
部屋を指定しての予約は断られるのが普通でしたので、KCIAが指定予約に成功した経緯は謎に包まれています。
【ホテルグランドパレス】
住所:東京都千代田区飯田橋1‐1‐1
(2021年に閉業)
金大中拉致事件に「別班」は関わっていた?
この「別班」が金大中拉致事件の折に金大中氏の正確な居場所をKCIAに通報したという説があります。



だめじゃん
それが本当だとすると、個人の尊厳や日本の主権を危うくする、活動であると言わざるを得ません
- 活動したのは「別班」所属歴のある元自衛官の坪山晃三氏
- 坪山氏は事件直前に自衛隊を退職し、「ミリオン資料サービス」という興信所を立ち上げた
- KCIAは「本人に接触して活動自粛の説得をしたい」として金大中氏の動向の調査を依頼
- 依頼は「ミリオン資料サービス」に行われた
- 「ミリオン資料サービス」では二等陸曹の江村菊雄氏が働いていた
- 金大中氏の所在情報は「別班」から坪山氏に流された可能性が高い
- 「ミリオン資料サービス」は「別班」の隠れ蓑ではないかと言われている
- 事件後に坪山氏と江村氏は官房副長官から潜伏するように指示を受けたとされている。
ちなみにこの「別班」をモデルとして、ドラマの「VIVANT」が作られました。
「別班」は噂されるだけの、公式に認められてはいない存在ですので、ドラマの内容はあくまでフィクションです。
金大中のその後は?


毎日新聞「政治プレミア」
自宅軟禁が解かれた後も金大中氏の受難は続きました。
- 1976年3月:「民主救国宣言」を発表して逮捕される
- 1978年3月:釈放
- 1980年2月:公民権回復
- 1980年5月:逮捕
光州での民主化デモのきっかけとなる
デモは武力鎮圧された(光州事件) - 1980年9月:光州事件の首謀者であり「韓国民主回復統一確信国民会議」議長として死刑判決を受ける
- 1982年1月:国際的な批判を受けて無期懲役に減刑
- 1982年12月:刑執行停止で釈放
家族と共にアメリカに出国 - 1985年2月:帰国を強行、軟禁される
- 1985年3月:政治活動解禁
- 1987年7月:「民主化宣言」により赦免、復権
- 1992年:大統領選敗北
- 1998年:第15代韓国大統領に就任
何度も逮捕や軟禁を経験し、一度は死刑判決を受け、アメリカに出国した時期もありましたが、1987年の「民主化宣言」によってついに完全な復権を果たします。
その後1992年の大統領選では敗北しましたが、その次の1997年の大統領選挙で見事当選し、1998年には第15代の韓国大統領に就任しました。
- 在任期間:1998年2月25日~2003年2月24日
- 受賞:ノーベル平和賞(2000年)
- 日韓共同宣言を発表
- 北朝鮮に緊張緩和政策(太陽政策)をとる



近隣と「仲良くしたい」って感じの政策に見える。
北朝鮮に対する太陽政策からの成果が評価されて、200年に韓国初のノーベル賞を受賞しました。
ただ、この太陽政策は結果的に崩壊寸前だった北朝鮮を継続させ、後の核保有につながったとされるために、現在では批判も大きなものとなっています。
3人の息子の斡旋収賄が発覚
- 弘一:長男 第15~17代国会議員 享年71歳
- 弘業:次男 第17代国会議員 享年75歳
- 弘傑:三男 第21代国会議員 62歳
金大中氏は3人の息子の代わりに国民に謝罪することになりました。



国会議員にまでなった息子の代わりに謝るの、親としても大統領としてもキツイよねえ
2026年6月現在、三男の弘傑氏以外はすでに亡くなっておられます。
金大中の死因は?
- 日時:2009年8月18日
- 場所:延世大学医療院セブランス病院
- 享年:83歳
- 死因:多臓器不全
(7月13日に持病の肺炎の3度目の発症)
1009年にはまだ夫人も、3人の息子さんも存命でしたので、おそらくはご家族に見送られての最期だったのではないかと思われます。
肺炎の持病があったようですので、そこから多臓器不全を発症したのではないでしょうか。
多臓器不全とは:脳、心臓、肺、肝臓、腎臓などの生命維持に不可欠な臓器のうち、2つ以上が同時に正常に機能しなくなった状態。
金大中氏は暗殺未遂や拉致事件にあい、けがや障害を負いながらも大統領に就任し、83年という短くはない生涯を全うしたと言えそうです。



氏の業績の検証は、これからの歴史にゆだねられるべきだよね
まとめ
金大中拉致事件や金大中氏のその後についてまとめました。
【簡単な回答】
- 1973年8月8日に金大中拉致事件が発生した。
- 金大中は1971年にも暗殺未遂事件に会い、障害を追っている
- 1972年10月17日に韓国では戒厳令が布告され、十月維新がおこった
- 十月維新当時、金大中は治療のために日本に滞在しており、そのまま亡命した
- 金大中がホテルグランドパレスから拉致されたのは1973年8月8日
- 金大中は1973年8月13日にソウルの自宅前で解放された後、自宅に軟禁状態となった
- 金大忠が自宅での軟禁から解放されたのは1073年10月26日
- 自衛隊の「別班」が金大中氏の居場所を特定してKCIAに通報した疑いがある
- 金大中は1998年に韓国の大統領に就任した。
- 大統領任期末の2002年に金大中の3人の息子が斡旋収賄で逮捕された
- 金大中は2009年8月18日に死没した
金大中氏は現在では韓国の第15代大統領として知られる人物です。
金大中氏は大統領に就任する20年以上前にも大統領選に出馬しており、僅差で敗れました。
その後暗殺未遂人にあって障害を負い、治療のために日本に滞在している折に、韓国で十月維新革命が起きました。
金大中氏は日本に亡命し、日本だけでなくアメリカでも維新政権を批判しますが、そのことから大韓民国中央情報局に監視されるようになり、1973年8月8日に東京の千代田区のホテルから拉致されました。
拉致された金大中氏は日本から連れ出され、ソウルの自宅近くで解放された後、自宅軟禁されるようになります。
金大中氏が自宅での軟禁を解かれるまでに2か月以上の時間が経過し、日韓両国の間ではこの事件に関する政治決着が図られました。
金大中氏の居場所を特定してKCIAに情報を流したのは、自衛隊の「別班」ではないかという噂があります。










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