2024年1月2日に羽田空港で発生した、海上保安庁機「みずなぎ1号」とJAL516便による地上衝突事故。
新年早々に起きた大きな航空事故だったこともあり、「羽田空港地上衝突事故の機長は誰?」「海保機の宮本元気機長は現在どうしている?」「事故はなぜ起きたの?」と気になっている方も多いのではないでしょうか。
結論から言うと、海上保安庁機の機長は宮本元気さんで、事故当時は第3管区海上保安部・羽田空港基地に所属する上席飛行士でした。一方、JAL516便の機長の氏名は公表されていません。
この事故では、海上保安庁機の乗員6人のうち機長以外の5人が死亡し、宮本機長は全身やけどなどの重傷を負いながら自力で脱出しました。JAL516便は激しい火災に見舞われましたが、乗客乗員は全員脱出しています。
この記事では、羽田空港地上衝突事故の機長が誰だったのか、宮本元気機長の現在、JAL516便の機長情報、事故が起きた原因や当時の経緯について詳しくまとめています。
【簡単な回答】
- 海上保安庁機の機長は宮本元気
- 日本航空機の機長の名前は非公開
- 海上保安庁機は機長以外の5人が死亡
- 宮本機長は自力で脱出して助かった
- 日本航空機は激しい火災を起こした
- 日本航空機からは全員が脱出した
- 海上保安機は前日に発生した能登半島地震の対応をおこなっていた。
- 宮本機長は2024年3月下旬に退院
- 宮本機長の現在の処遇については発表されていない
詳しくは下の記事でご確認ください。
羽田空港地上衝突事故の海保機の機長は誰?
- 生年月日:不明 事故当時39歳
(1983年1月3日~1983年4月2日) - 所属:第3管区海上保安部 羽田空港基地
- 役職;上席飛行士(機長)
- 階級:非公開
宮本さんは2024年4月2日の記事では40歳と紹介されていますので、4月2日までの間に誕生日があることが推察されます。
宮本元気の家族はどうなった?
宮本元機長は海上保安庁に勤務する一般人、ましてそのご家族のプライベートは当然配慮されるべきですので、公表されていません。結婚や子供の有無についてもわかりませんでした。

最近は結婚してない人も多いしね
羽田空港地上衝突事故のJAL機長は誰?
一部で「泉」という名字が取りざたされているようですが、根拠を見つけることができませんでした。
事故を起こした機体は海上保安庁機の名前はみずなぎ1号とJAL機はJAL516便(新千歳空港発羽田空港行き)でした。
みずなぎ1号は東日本大震災の折に仙台空港で被災した機体の中で、唯一修復することができた機体でした。
羽田空港地上衝突事故の機長は今どうしているの?
JAL516便の機長に関しては、事故原因調査への協力が終わった後は、通常業務や後進の指導を続けていると思われます。



当時50歳だったから、今は52~3歳かな
2024年の事故時点でJAL516便の機長はすでに後進の指導を行う立場でした。
宮本元機長は2024年3月下旬に退院
治療を受けた宮本元機長が退院したという記事が3か月後の2024年4月3日に出されています。退院の時期は3月下旬とされており、退院後すぐの発表ではなかったようです。
- 海保機の男性機長(40)が3月下旬に退院
- 運輸安全委員会や警視庁が今後、事故について聴取
- 機長は全身にやけどを負った
- 集中治療室などで治療を受けた
- 退院後も療養を続ける
集中治療が必要な程の大やけどの患者が自宅療養が可能であったかどうかは難しいところですので、この時点では退院後療養病院に入院した可能性もありそうです。
同日にTBSから発信された記事では「当分は療養に専念するため、事故についての聞き取りはしばらくの間見送られる予定」となっていますので、退院後すぐに自宅に帰る事が出来たかはあやしいように思われます。



聴取するにしたって自宅じゃ不便だろうし
その後、宮本機長に関する情報は発信されていませんが、今も療養と事故原因調査への協力をおこなっているものと思われます。
羽田空港地上衝突事故はどうして起きたの?
事故の経緯を下にまとめました。
- 17:44:56:
管制からJAL516便に「滑走路は着陸に支障ない」と伝達 - 17:45:11:
管制からみずなぎ1号に滑走路わきの停止位置への走行指示みずなぎ1号は指示内容を正しく復唱し、離陸順序を優先されたことに感謝。その後停止位置を超え、滑走路内で停止 - 17:47ごろ:
JAL516便が滑走路に着陸
主脚接地とほぼ同時にみずなぎ1号の垂直尾翼にほぼ真後ろから衝突
みずなぎ1号はその場で爆発炎上してJAL516便は1700m滑走して、滑走路右側へ逸脱 - 17:53ごろ:
JAL516便乗客の脱出を開始 - 18:05:
JAL516便に残る最後の機長が脱出 - 18;10ごろ:
JAL516便の胴体上面や機内にまで延焼
その後激しく燃え上がる - 翌日02:15:鎮火
みずなぎ1号の機長が「離陸許可を得た」と思い込んで滑走路に侵入してしまったことが、事故の最も大きな原因とされています。
みずなぎ1号は前日に起きた能登半島地震の対応のために新潟基地へ物資を運ぶ任務についていました。
みずなぎ1号側には「震災対応のために優先されている」という思い込みもあったようです。
JAL516便には死者なし
この整然として犠牲者を出さなかった事故機からの脱出は、「奇跡の脱出劇」として世界中の称賛を浴びました。



乗客には幼児や車いすの人も含まれていたんだよ
新千歳空港発のこの便は、副操縦士の訓練を兼ねており、通常の機長と副機長だけでなくセーフティーパイロットとしての副機長が乗り込んでいました。
- 左席:機長(教官も務める超ベテラン)
- 右席:副機長(型式移行に向けて訓練中)
- オブザーバーシート:セーフティーパイロット(すでに副機長資格を所持)
飛行機は型式によって操作方法に違いがあるため、新しい資格が必要となります。JAL516便の副機長はすでに国家資格は持っていましたが、副機長としての訓練を受けているところでした。
着陸時の操縦をしていたのは右席の副機長だったようです。
機体の停止後は機長が緊急脱出のチェックリストに従ってすべての処置を行いました。
みずなぎ1号は機長以外死亡
滑走路というものは一方通行にできています。
この事故でもJAL516便は滑走路に停止しているみずなぎ1号にほとんど真後ろから衝突しました。
事故後の調査で機長以外の乗員5名は全身挫滅によって死亡していたことが確認されました。



機長が脱出した時点では、たぶんもう…
「真後ろからの衝突」という飛行機事故としては珍しい後部からの衝撃であったことが、もっとも前部に乗っている機長だけの生還という事態を引き起こしたようです。
宮本元機長はどうやって脱出したの?
宮本元機長の主観では「機体後方がいきなり爆発した」ように感じたようです。
宮本元機長は衝撃の瞬間にとっさに伏せたようですが、この時点で負傷しています。
機体を脱出した元機長は、機体が爆発したことを羽田空港基地に通報しました。
宮本元機長は生還したものの、この事故で全身やけどをはじめとする大けがを負い、3か月後の退院時点ではまだ静養に専念する必要のある状態でした。
まとめ
今回は、2024年1月2日に起きた羽田空港地上衝突事故の機長や、事故の原因、宮本元気機長の現在についてまとめました。
【簡単な回答】
- 羽田空港地上衝突事故は2024年1月2日に発生した
- 事故を起こした海上保安庁機は「みずなぎ1号」
- JAL機は新千歳空港発・羽田空港行きのJAL516便
- 海上保安庁機の機長は宮本元気さん
- JAL516便の機長名は公表されていない
- 海上保安庁機では、機長以外の乗員5人が死亡した
- 宮本機長は全身やけどなどの重傷を負いながら自力で脱出した
- 宮本機長は2024年3月下旬に退院したと報じられている
- 現在の詳しい処遇や勤務状況については公表されていない
- JAL516便は激しい火災に見舞われたが、乗客乗員は全員脱出した
- 事故の大きな原因は、海上保安庁機が管制指示を誤解し、滑走路内に入って停止したこととされている
羽田空港地上衝突事故は、能登半島地震の対応に向かう予定だった海上保安庁機「みずなぎ1号」が滑走路内に進入し、着陸してきたJAL516便と衝突した事故です。
海上保安庁機の機長は宮本元気さんで、事故当時は第3管区海上保安部・羽田空港基地に所属する上席飛行士でした。JAL516便の機長については、氏名は公表されていません。
JAL516便では、乗客367人と乗員12人が搭乗していましたが、機体が炎上する中で全員が脱出し、「奇跡の脱出劇」として国内外から注目されました。
一方で、海上保安庁機では機長以外の5人が亡くなっており、能登半島地震への対応に向かう途中だったことも含め、非常に重い事故となりました。
宮本元気機長については、2024年3月下旬に退院したことは報じられていますが、その後の詳しい処遇や現在の状況は公表されていません。
事故の背景には、管制指示の認識違いや、震災対応で優先されているという思い込みがあった可能性も指摘されています。
今後も、運輸安全委員会などによる調査結果や再発防止策を通じて、同じような事故を防ぐための検証が重要になりそうです。










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