韓国初の女性大統領にして、韓国で初めて弾劾で失職した朴槿恵元大統領は、父親も大統領でした。
朴槿恵の父親である朴正煕は16年間という長い間、韓国に独裁政権をしいた人物で、最側近に暗殺されるという形で在任中に亡くなりました。
この記事では朴槿恵の父親、朴正煕暗殺の真相や、当時の韓国の状況についてわかりやすく解説します。
【簡単な回答】
- 朴槿恵の父親は朴正煕
- 朴正煕は韓国の第5代~第9代大統領
- 朴正煕政権は16年間続いた
- 朴正煕は軍事クーデターで政権をとった
- 朴正煕の妻は夫の巻き添えで暗殺された
- 朴正煕の妻の死後、長女の朴槿恵が父のファーストレディ役を務めた
- 朴正煕は最側近に暗殺された
- 朴正煕政権に始まる30年間は「漢江の奇跡」と呼ばれる韓国の高度成長期
詳しい記事は下からご覧いただけます。
朴槿恵の父親が暗殺された真相は?
- 日時:1979年10月26日、19:40ごろ
- 被害者:朴正煕・車智激
- 犯人:金載圭
- 事件現場:ソウル特別市鐘路区宮井洞
暗殺現場は宮井洞の安全家屋の宴会場で、女性も侍らせての晩餐の席での事件でした。
安全家屋とは:ここでは大統領などの国家用心を警護、保護するための極秘の施設。
- 18:05ごろ
宮井洞の安全家屋の宴会場で、朴正煕大統領を迎えた「大行事」の晩餐が始まる。
出席者は朴正煕、車智激、金載圭、金桂元 - 18:50ごろ
歌手の沈守峰(女性)と大学生兼モデルの申才順(女性)が朴正煕の両側に座る。 - 19:10ごろ
金載圭は中座し、敷地内のKCIA事務所に隠してあった拳銃を持ち出す。
また金載圭は部下に銃声がしたら控室の大統領府警護員(車智激の部下)を射殺するように指示する。 - 19:40ごろ
金載圭が車智激を撃ち、車智激はトイレに逃げ込む。
咎めた朴正煕も金載圭に撃たれる。

女性二人と金桂元は難を逃れたけど、待機室や控室では部下同士も撃ち合いになったよ
大行事とは:ここでは政権トップの最高幹部たちが集まる秘密晩餐会。
金載圭は陸軍本部を巻き込んでのクーデターを企図していたようですが、うまくは行きませんでした。
犯人、金載圭とは何者か
金載圭は朴正煕によって引き立てられた朴正煕の最側近の一人です。
朴正煕とは同郷で国防警備士官学校の同期生でした。



年齢は金載圭が9歳年下なんだって
大韓民国中央情報部の部長となったのは1976年の12月4日のことでした。
金載圭は犯行の動機を「自由民主主義を回復し、デモが全国に拡大した場合に発生するたくさんの犠牲を未然に防ぐため」と語っています。
これは最初に撃たれた車智激が主張したデモへの強硬な対処を、朴正煕が採用したことが関係していたようです。
車智激はデモに参加した市民を戦車でひき殺すことを主張していました。
また、事件当日の「大行事」では、金載圭とKCIAが揶揄されたりけなされる場面が何度もあったようです。
金載圭と車智激は朴正煕の最側近としてライバル関係にありました。
金載圭が事件を起こしたのは、自身の立場が脅威にさらされていたからではないかとも言われています。
金載圭は事件の翌年に内乱罪で絞首刑となりました。
当時の韓国の状況は?
朴正煕は韓国軍の少将であった1961年5月16日に軍事クーデターを起こして政権を奪取し、その後長期の独裁体制を敷きました。
16年間という長期の任期は、韓国史上最長のものです。



今では韓国の大統領は1人につき1期(五年)しか務めることができないよ。
クーデターによる軍事革命
- 当時の民主党政権の政治的無策と党内抗争
- 民主的革命に対する民主党のあいまいな態度
- 経済状況の悪化に対する国民の不安
- 北朝鮮に融和的な勢力の民主化運動や統一運動に対する軍部の危機感
- 朝鮮戦争によって肥大化した韓国軍の軍人事の停滞
- 腐敗した高級軍人の追放運動の失敗



政権や軍上層部への不満がたまっていたんだね
クーデターは成功し、当時の政権は瓦解し、朴正煕は国家再建最高会議議長に就任しました。
国家再建最高会議とは:「5・16軍事クーデター」によって樹立された軍事政権
強権的な長期政権のゆがみ
この後、1979年に暗殺されるまで、朴正煕は大統領として長期にわたり政権を握りました。
もともと軍事革命から始まった強権的で独裁的な政権は、長期に渡るにつれて国民の反発を呼び、大規模なデモが行われるようになりました。



このデモへの対応で金載圭は政権内で孤立したんだね。
朴正煕の暗殺が実行されたのはこの事件だけではなく、1974年には朴正煕暗殺事件の巻き添えで、夫人の陸英修が殺害されています。
この陸英修は朴槿恵の母親にあたります。
「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長期
- 国際的な資本と技術の流入
- 国家主導の強力な経済政策
- 安価で高い教育を受けた労働力
- 農村の生活改善運動による内需拡大
- 出稼ぎによる外貨の獲得
強権的、独裁的ではあるものの、強力な経済政策を累進し、日米などとの関係の改善や深化によって資金や技術を流入させた朴正煕の政策は、いまでも評価されています。



強権的で、独裁的ではあるんだけど…
この、父朴正煕への評価が、娘である朴槿恵への国民の支持につながりました。
母親が殺害された後、朴槿恵が父のファーストレディー役を務めていたことで、知名度もあったようです。
朴槿恵についての詳しい記事は下からご覧いただけます。


まとめ
朴槿恵の父朴正煕の暗殺事件と、当時の韓国の状況についてまとめました。
【簡単な回答】
- 朴槿恵の父親は朴正煕
- 朴正煕は韓国の第5代~第9代大統領
- 朴正煕政権は16年間続いた
- 朴正煕は軍事クーデターで政権をとった
- 朴正煕の妻は夫の巻き添えで暗殺された
- 朴正煕の妻の死後、長女の朴槿恵が父のファーストレディ役を務めた
- 朴正煕は最側近に暗殺された
- 朴正煕政権に始まる30年間は「漢江の奇跡」と呼ばれる韓国の高度成長期
朴槿恵の父朴正煕は軍事クーデターで政権を奪取し、政権が民選移管された後も長く大統領をつとめた人物です。
彼の政権は強権的で独裁的であり、政権の末期にはデモが盛んになりました。
デモに対する強硬策に朴正煕が賛成し、穏便な対策を取りたがっていたKCIA部長が政権名で孤立したことが、暗殺事件の引き金となりました。
朴正煕は1979年に高官による非睦宴会の最中に暗殺され、暗殺を実行した金載圭は翌年絞首刑となりました。
強権的な反面、強力な経済政策をし行った朴正煕政権は「漢江の奇跡」と呼ばれる韓国の高度成長期のおこしたという評価もされています。
父朴正煕の評価が朴槿恵への支持となり、後の朴槿恵の大統領就任につながりました。






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